Tuesday, June 24, 2025

歳を重ねてからの「レベル上げ」:VO2MAX向上で痛感した、教育の可能性と課題



走力レベルのカンスト (Apple Watch で測れるVO2MAX限界値、Lv.65) に挑戦する中で発見あり。現在 推定値 57.0。

VO2MAXの数値が着実に伸び、日々の修行の成果が、数値化されるのが面白い。どうせなら Watch OS 12 くらいで乳酸閾値の推定値も測れるようになってほしい。


余談ながら、① VO2MAXを高める練習、例えばインターバル走の他に、② 乳酸閾値を高めるための持久系トレーニング、テンポ走 (5K レースペースより 5~10 秒/km 遅いペースで 20-30分) を組み合わせるとスピード持久力がつきました。


これまで走力や運動能力は生まれ持った素質や才能で決まるものだと、決めつけていた節がありました。しかし去年からのランニング修行の経験を通じて、その考え方がいかに一面的なものであったかを痛感。適切な修行方法を実践すれば、たとえ歳食っても、ある程度のレベルアップは十分に可能であることがよくわかってきた。


これ中高部活をしているころ、20~30歳台のころに正しい指導、きっかけがあればもっと伸びたと思う。ただ、40 越した今でも、まだまだその先も、最適化されたトレーニングを積むとまだ伸びると思う。



体育教育への疑問


この経験と並行して、昔から現在に至るまでの学校教育における体育の指導方法には、改めて疑問を抱かざるを得ません。

運動の基本である「立つ」「歩く」「走る」「投げる」といった動作の基本を、私たち体育の授業で体系的に学んだ記憶がほとんどないのはなぜでしょうか?


そもそも、「才能」とは、初期値だけで決まるものではなく、適切な指導と努力によって「伸ばす」べきものだと考えている。

しかし、往々にして体育教師は、ご自身が元来高い運動能力をお持ちであるためか、運動が苦手な人種が「なぜできないのか」、そして「どうすれば上達できるのか」という点への考察が不足している。

ダイレクトな言い方をすれば、指導という点においては、改善の余地が大きい。そもそも指導ってなかった。

中には、不適切な言動で生徒を傷つけるような事例があったことは、非常に残念。「とろい」とか、「やる気がない」とかに代表される意味不明発言。


座学にも通じる「教え方」の重要性


このような傾向は、座学、特に数学などの苦手意識を持つケースにおいても共通しているのではないかと感じています。

教え方一つで、生徒の理解度や学習意欲が180度変わる可能性は十分にあります。

もちろん、遺伝的な向き不向き、つまり「初期ステータス」に多少のばらつきがあることは間違いない。しかし、最終的に個人の能力が伸びるかどうかは、「正しい方法で反復練習すること」に尽きるのではないでしょうか。万人に共通する教え方を見つけることは容易ではないと理解しつつも、「だめだ」「やる気がない」「できない」といった言葉で片付けるのではなく、正しい技術と、上達への具体的な道筋を学校教育の中でより丁寧に伝えていただきたいと強く願うばかり。

今自分が大学で教えている授業でも、教え方、学び方を今一度見返す必要があると思う。

No comments: